この日本の文化の中に、責任を取って辞める。という妙な風習がある。
政治家が悪いことをすると、責任を取って辞職します。という。
経営者が不祥事を起こすと、責任を取って辞めます。という。
はたして、その人たちは責任を取ったのだろうか、
会社を辞めて悠々自適に暮らしているのではないだろか?
その人達が、辞めて誰が報われたのだろうか?
責任を取るとは、そんな簡単な事なのであろうか、
責任を取るとは、そんな簡単な事ではない、
責任を取るとは、
二度と同じ過ちを繰り返さぬよう努め、
絶え間ぬ努力を繰り返し、
そのおこしてしまった損害を上回る、
利益や幸福を生み出す事である。
もう死ぬ気で働き、もうみんなが、
君は良く頑張った。
そこまで頑張れば、あの事件は帳消しにできる。
そう思われた時、責任を果たした事になる。
それが本来の責任を果たした事になるのに、
それが現代では、辞める事が潔いみたいな風になっている。
潔くはない。
責任を取れないので、責任を放棄します。と言っているのだ。
東京電力の社長が辞めて、誰が喜んだんのであろうか、
もしも東京電力の社長が、
『責任を取って、残りの人生をすべて自ら現場に行き除染作業に費やします』
と言えば、この人はたいしたものだ。となったであろう。
責任を取るという事は、選択肢の中で一番辛く険しい道を選択する事なのである。
何十年も我慢する事なのである。
現代は責任と言う言葉が軽くなっているのである。
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