この世の中には、様々な所に問題がある。
問題のない所はないと言ってもいいであろう。
会社での問題、
個人的な問題、
夫婦間の問題、
学校での問題、
子育てでの問題、
日本の問題、
経済の問題、
国際社会での問題、
いたることろに問題は存在する。
問題はいたるところにあるが、問題にちゃんと向き合っていない人は多い。
しかも、問題に向き合っていないのに、向き合っているつもりでいる。
問題に向き合っていないと指摘すると、向き合っているという。
思い悩み考えている、という。
思い悩み考える事は、問題に向き合っているのとは違う。
むしろ問題に背を向けているのだ。
問題を見ようとしていないのだ。
問題と向き合うとは、行動を選択し、行動を起こす事である。
夫婦間のさめきった関係が問題であれば、
夫婦でとことん腹を割って話し合い、
感謝の気持ちや、謝罪の気持ち、許せない事、これからの事、など話し合い。
今後、どうしていくのか決断しなければならない。
必ず修羅場になるが、これは乗り越える必要がある。
会社の業績が、うまくいかないのであれば、
リストラや資産の売却など、痛みが伴うメスを入れなければならない。
増えた体重に悩むのであれば、お菓子を我慢しなければならない。
つらいが、ジョギングをしなければならない。
問題は時間が経つにつれ、どんどん大きくなっていく。
どんどん大きくなり続ける。
どんどん大きくなり続けると、もう本人では解決できなくなる。
最後は、もう自分では処理できず。
時間に処理してもらうしかなくなる。
放っておいても時間が、問題を処理はしてくれる。
処理はしてくれるが、結果は必ず最悪になる。
想像できる最悪の結果になる。
もしくは想像も出来ないほど最悪の結果になる。
夫婦であれば、だらだらと無駄な時間を過ごし
はてに熟年離婚をし、さびしい老後を過ごす事になる。
だれにも知られず、死を迎えるかもしれない。
会社であれば、倒産し多くの人に迷惑をかける。
ダイエットをしなければ、
ぶくぶく太ってみっともない体になってしまう。
病気になって大変な思いをする。
選択すべきは、いつも辛く険しく困難で選びたくない方である。
人生は、問題処理の連続である。
常に、辛く険しく困難な方を選ばなければならない。
常にこれの繰り返しである。
これを繰り返す事によってのみ、
人生は順調に運び、真の心の安らぎが得られるのである。
安心して、今日一日に満足し、眠りにつく事が出来るのである。
あまい簡単な方を選択してはいけない。
あまい選択をしだすと、人生の歯車が狂いだす。
真の安らぎを手に入れられない。
未解決の問題の解決を先送りしてはならない。
寝ても覚めても、心にシコリが残り、
人生の充足感を感じられない。
本当の問題とは、問題の処理の仕方であって、
起こってしまった事実は、ただの事実で問題ではないのかもしれない。
0コメント